Belle's Life and Our Lives(1)
ベルのことを知っている人たちのために
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たぶん幸せに生きた猫ベルのために
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そして私たち自身のために
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ベル、君は全然知らなかったと思うけど、僕は猫が好きではありませんでした。なぜかって? まずその話から始めましょう。
僕は君と同じように(?)幸せな幼年時代を過ごしました。一年の中で一番の楽しみは、母親の実家である秋田に遊びに行くことでした。いろいろなことを教えてくれるおばあちゃん、自分の子供や兄弟のように接してくれた叔父や叔母に囲まれて過ごす、子供にとってはとてつもなく長く楽しい夏休み。
遊び場は、まさにその実家である神社やお稲荷さんでした。僕はそこでとても印象に残る二匹の猫に出会ったんだ。一匹は、実家に出入りしていた、たしか「トラ」と呼ばれる猫だった。その猫は、どこかでいたずらをして顔面を棒でたたかれたために片目がつぶれていた。
もう一匹は、神社を囲む秋田杉の林の中で出会いました。その猫は、小鳥を口にくわえたんだけど、それだけじゃなかった。口から小鳥を逃がしては捕まえ逃がしては捕まえを繰り返していたんだ。猫は恐かったし、小鳥がかわいそうだったので、猫に石を投げて家に逃げ帰りました。
こんなかたちで猫と出会って、猫が好きになれるはずはないよね。それだけじゃないんだ。君は知らないけど、僕は東京の下町で育ちました。猫を見かけたと思うけど、かわいいと思ったことは一度もなかった。縁日で買ったひよこや池の金魚を猫にとられたからなんだ。
君が我が家にやってくる数年前に、僕は猫ママと結婚した。猫が好きなことは知っていたよ。でも何の問題もなかった。趣味の問題だからね。ところが、猫ママの教育(?)がよかったのかね、猫ママとの偶然の出会いから「ふう」おねーちゃんが我が家にやってきても、すんなり受け入れられた。それどころか、「ふう」と接しているうちに、猫のことが本当に好きになってしまった。猫ママの戦略だって? 確かにそうかもしれなけど、好きになったから君も家にくることになったんだから、よかったんだよ。
しばらくして、もっと家族を増やしたくなってきた。猫ママだけじゃなく、この僕がだよ。猫(ママ)の力はすごい!! そう思っていた矢先に、君と出会ったわけだ。
君と出会った日は、今でも鮮明に覚えています。真夏の暑い日、猫ママの友達が離婚するといってやってきて、なぜか彼女がスーファミの「シムシティ」に熱中しているという、変な状況だった。僕がタバコを買いに出ると、君は自動販売機の前の道でゴロゴロしていましたね。
ちっちゃいばかりか、肋骨が見えるほどやせて、耳の中まで泥だらけだったんだよ。放っておくと車に引かれそうなので、とりあえず我が家の庭に退避させようと思って抱き上げた。君は何の警戒もしないで、僕に抱き上げられた。抱き上げられたなんて、大げさすぎるね。とても小さいから手で持たれたというのが正解だ。えらく「美人」なので「内の子にしようか」とすぐに考えた。
猫ママに見せると、即決。離婚女性をそっちのけで、君はお風呂に入れられて、耳の中まできれいにしてもらって、ミルクやらご飯やらをたらふく食べてすぐに寝てしまったと記憶しています。病院に行って注射などしてもらって、やっと僕たちの家族になりました。
最初は警戒していた「ふう」も、あまりにも警戒心がなく「猫・人なつっこい」君とすぐに仲良くなりましたね。それまで、やんちゃに走り回っていた「ふう」も、君が来てから、姉、いや母親のように振る舞っていました。寝るときはいつも一緒だし、君が見えないと「ふう」はすごく心配していました。
君が少し大きくなると、「ふう」と追っかけっこやけんかをするようになりましたね。君たちが中腰で「猫パンチ」を繰り出す姿は、最高でした。
今から8年前、「ある」が我が家にやってきて、とうとう三姉妹になりました。君たちの間でいろいろあったけど、ずっとこのまま君たちと一緒に暮らしていけると思っていました。人間と同じように年もとれば病気にもなるんだよね。当たり前のことなんだけど、そんなこと、考えもしなかった。
二度目の手術の後、ガンが再発したことを知らされたとき、僕は言いようのない怒りにとらわれました。とてもやりきれない気持ちで「クソ! クソ!」って心の中で叫びました。
誰も、何も悪い訳じゃない。そう思えるまで少し時間が必要でした。事実を受け入れて、一日でも長く生きられるように、一日でも長く一緒にいられるように、君と一緒にがんばろうとやっと思えるようになりました。
本当は、涼しくなるまでがんばってほしかったけど、とうとう力が尽きてしまいましたね。僕が夏休みに入って、結局君が逝ってしまうまで、毎日一緒にいられたし、猫ママと一緒に病院にも行けたのが少しは救いかな。でも、本心を言えば、もっと永く・・・だな。
君が逝ってしまう数日前から、君はあまり動けなくなってしまったね。それでもご飯を口元にもっていくと、食べようと努力していました。君の顔を見るたびに繰り返していた「がんばれ、ベル」。何度も何度も繰り返した「がんばれ、ベル」。もう言えなくなって、ほんとうに寂しいです。
2004年8月21日、とうとうその日が来てしまいました。アテネ・オリンピックのまっただ中、どうでもいいけど地上波の「冬のソナタ」の最終回の放送日、そして僕が初めて作った遠近両用メガネを受け取る日。午前3時頃には、君はもう動けなくなり、意識も失っているようでした。
僕たちが君の側にいると、いつのまにやら「ふう」と「ある」が後ろに座っていて君のことを見ていました。わかったかな? まるで別れを惜しんでいるかのようでした。そして、午前4時15分、とうとう君は息を引き取りました。
どこかで書いたように、大人になってから号泣したのは2回だけだったけど、君が息を引き取った時に2回、埋葬したときに1回、君は僕を号泣させました。君もよく知っているように、こういう状況になると、女より男のほうがだらしがなくなるんだ。たかが猫で、なんて笑われるかな? でも、もしそんなことを言う人がいても、その人は僕たちの13年の歴史を知らないから、仕方がないね。
夜が明けて、浅い眠りからさめると、猫ママが「ベルがいない」とつぶやきました。僕は答えることができませんでした。ただ、君の泣き声、君のぬれた鼻、乾いた鼻、肉球の感触、毛触り、そして、君が眠っている姿、いろいろなことが頭を駆けめぐりました。猫ママもたぶん同じだったと思う。
人間の世界には「ペットロス」というのがあります。身体的変化としては、1.泣く、2.不眠に陥る、3.食欲不振、過食、4.幻惑、幻覚、5.胃痛、脱力感、めまい、精神的変化としては、1.孤独感、疎外感、不安感、2.恨み、悔やみ、3.集中力、感覚思考力の低下、4.寝込むといったことが起こるらしい。
最初の一週間は、たしかに肉体的にちょっとおかしいと感じていたのは事実だけど、病気の症状というほどのこともなかったから安心してください。でも精神的にはかなりつらかったよ、今もだけど。
君がいるべきところにいないという喪失感は、ほんとうに耐え難いものがありました。君との思い出はたくさんあるのに、君にもう触れられないという事実は、僕たちにはつらすぎました。心にも家にも空白があります。この空白は、これから我が家に新しい猫が来ても埋められそうにありません。だって、ベルはベルだからね。
最後に「ふう」と「ある」のことに触れておきます。君も知っているように、数年前にあれほど仲が悪かった「ふう」と「ある」は、今はべったりとくっついたままです。彼女たちなりに何か寂しさのようなものを感じているのかもね。まあ、それだけ君が愛されていたということです。本当に君は誰にでもかわいがられて、いい生涯を送ったと思う、いやそう思いたいです。
これからも、君のことについて書いていきたいと思っています。でも、少しずつ、少しずつ・・・ね。猫ママも書く予定だけど、「まだ無理!!」だって。
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