Pat Metheny “Last Train Home”(1978)

 私は音楽に関してはかなり雑食である。好きなものは好きなのである。好きとはいえないものは聴かない。聴かないとはいっても、部屋に流れなかったり、CDを買わないだけだ。流れている分にはまったく苦痛ではない。

 雑食だし偏食だし知識もとぼしい。評論家にも「ウンチク王」にはなれない。日常生活では常態である思い違いもある。新しい出会いも偶然だ。偶然だろうが何だろうが、至福の時を過ごせればそれでいい。

 ここで取り上げるのは、私の好きなものだ。「私の好きなもの」といえば、“My Favarite Things”。幼き日に見た『サウンド・オブ・ミュージック』でジュリー・アンドリュースが子供たちと歌っていた。ジョン・コルトレーンの“My Favtarite Things”は大好きな演奏だ。しかし、今回取り上げるのは、パット・メセニー。それも“Last Train Home”である。


 初めて耳にしたのは、今から7、8年前だろうか。J-Waveの深夜番組(DJはジョン・カビラだったと記憶している)のエンディング曲かなんかだった。

 何の曲か全然知らなかったが、一度聴いて好きになった。パット・メセニーの名前ぐらいは知っていたが、彼の演奏とは知らなかった。当時、我が家にはパット・メセニーはいらっしゃらなかったのだ。

 これがパット・メセニー・グループのもので“Last Train Home”というタイトルであるということを知ったのは、それからさらに数年後、パット・メセニーのアルバムを「偶然」耳にする機会があってからのことだ。

 彼のアルバムには「基本的には」はずれはない(例外はある)。1992年の“Secret Story”や2002年の“Speaking of Now”といった新しいものもいい。こんなことを言えるのも、とうとうアルバム“Still Life(Talking)”に出会ったからだ。「ああ、この曲だ」。日本での発売が1987年だから、出会うのにずいぶん時間がかかってしまった。

 この曲(アルバム)はよく聴いたし今もよく聴く。パット・メセニーのギターが口でいえる。デープ・パープルの“Highway Star”が好きな人がリッチー・ブラックモアのギターを口ずさめるのと同じだ(私も口ずさめる)。聞き込んでも無理なのは、アル・ディメオラやジャコ・パストリアスのベース。これは絶対無理だ。

 なぜ“Last Train Home”が好きになったのだろう。好きになるのに、別に理由なんかいらないだろうが、思い当たるふしはある。

 小学生の頃、神経質で体が弱くアレルギー体質だった。そのくせ、あるいはむしろ、それだから? 通信簿にはかならず「落ち着きがない」と書かれていた。中学に入って、理由は定かではないが、一転して内向的になった。自分が何者なのかと問い始めた。う〜ん、哲学的だ。

 我が家の知的環境を整備した6歳年上の兄がいた。住み込みの職人さんたちがたくさんいた。したがって、私はかなりませた「ガキ」になっていた。中学の同級生たちの多くが子供に見えて「ケッ」ってなもんだ。

 こういうやな「ガキ」だったので、同級生と「仲良しこよし」というのは性に合わない。部活もそれなりにやっていたが、基本的には家にいることが好きだった。

 高校に入るともっとたちの悪い「ガキ」になっていた。変な風に太宰治の読者になっていて、太宰治の読者である自分に酔っていた。「今どきの子」にはどうしてもなれない。友達付き合いも表面的だったし、表面的であることを自覚していた。「お友達」なんてどうでもよかった。「家」にいる方がずっといい。ずっと生産的だ。

 別に「引きこもり」ではない。好きな音楽を聴いたり、へたくそな油絵を描いたり、テレビで映画を見たり、本を読んだりすることが、自分にとって大切な時間だった。おなかがすけば、やさしいお袋が台所にいた。それが、私の「家」であり「居場所」だった。


  “Last Train Home”なので、「帰るべき所」や「自分がいるべき所」や「居心地のいい場所」への思いが込められている。だから、当たり前のように、この曲を聴くと「郷愁」を感じる。「郷愁」は、過去に関して言えば「ノスタルジー」だし、現在に関して言えば「ホームシック」だ。

 一番「居心地のいい場所」、それが家だった。旅行やら合宿やらに出かけても、すぐに家に帰りたくなった。そう、いつもホームシックを感じていたのだ。池袋や渋谷を徘徊している子供たちにはホームシックはないのだろうか。そんなことを聞いたら笑われるだろうか。きっと、彼らにとって、家は「居心地のいい場所」でも「自分がいるべき場所」でもないのだろう。

 結婚して居心地のいい「家」を出た。新しい「家」が居心地のいい場所になった。だから、今でも家にいるのが好きだ。どこへ出かけても早く家に帰りたくなる。これが、“Last Train Home”にひかれる理由だろう。私は、この“Last Train Home”を聴きながら、さっさと家に帰る。Junchanと三匹のメス猫が待っている家に早く帰りたい。そこが「居心地のいい場所」であり、「帰るべき所」だからだ。


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