Led Zeppelin “Since I've been Loving You”(1970)

 高校受験の時、都立高校は「学校群制度」をとっていた。現在でも都立高校の入試制度はめまぐるしく変化しているが、当時は高校格差を是正することに主眼がおかれ、二つの高校からなる「群」を受験し、合格者は自らの意思に関係なくいずれかの高校に振り分けられた。高校紛争も理由だったかもしれないが、実際にはわからない。教育関係の役人がやることは今でも理解できない。

 子供の頃から兄の尻を追いかけているところがあった。高校も兄と同じ所に行きたいと思っていた。中学2年のときには陸上部のキャプテンでちょっとしたスタアだったので(なぜ「ので」なのかはわからないが)、勉強は今ひとつだった。3年になって、やはりどうしても兄が通っていたのと同じ高校に行きたくなり、本当に一生懸命勉強した。当時の都立入試の科目が3教科だったのが幸いしたのか、なんとか間に合った。

 しかし、入学することになったのは、目指していた高校ではなく「群」のもう一方だった。受かったことそのものを喜ぶべきだが、ちょっとがっかりしたのも事実だ。あっちは制服がないのにこっちにはあるとか。あっちの方が家に近いとか、あっちの方がいい大学に入っているのが多いとか、あっちの方が自由だとか、いろいろな理由でがっかりした。


 とはいえ、それなりに楽しい高校生活だったこともまちがいない。高校紛争の残りかすものあったし、人並みに恋も失恋もした。いい先生との出会いもあった。ある現代国語の先生は、岩波新書を教科書に使っていた。それも丸山真男だ。今だったら考えられない。私の質問につきあってくれるいい授業だった。

 一時期、放送担当になった。朝礼で整列しなくていいのが嬉しかった。昼休みには好き勝手にレコードをかけていた。最初レッド・ツェッペリンをかけたら、さすがに職員室から苦情が来た。はいはい、わかりましたってな感じで、購買部で買ったパンと牛乳を手にしながら、オスカー・ピーターソンやアストラッド・ジルベルトをかけていた(弁当はとうに食ってしまっていた)。どうせわかりゃしないだろうと思って、ちょっとおとなしめのツェッペリンの“Your Time is Gonna Come”や“Bebe I'm Gonna Leave You”をこっそりかけたり、ディープ・パープルの“Help”(もちろんレノン=マッカートニーのもの、救援緊急度はビートルズの方が圧倒的に高い)をかけたりして、一人悦に入っていっていた。

 もともと女子校だったので、入学した当時も女子の方が多かった。席替えをするとまわりは女子だらけということがあった。女子がふつうにそばにいて一緒にお馬鹿な話をしていた。卒業するときには、女性に対する免疫がすっかりできあがっていたばかりではなく、女性への幻想がすっかり打ち砕かれていた。それってよかったの?判断に迷う。

 生徒会は、高校紛争の影響もあって、それなりに発言力を持っていた。校則改正運動には私も関与した。現在世の中には「お馬鹿な」校則がたくさんあるらしい。この間爆笑問題の番組のネタになっているのを見た。教師は「お馬鹿な」校則を「守れ」としか言えないのだろうか。生徒はなぜそれを変えようとはしないのだろうか。

 校則改正にはいろいろなことがテーマとなった。女子の関心はパーマの解禁にであり、男子の関心は旧態依然たる詰め襟の制服廃止=自由化だった。各クラスで話し合いがもたれた後、全校投票が行われた。パーマは解禁され、制服自由化は否決された。女子は毎日服を考えるのが面倒だったらしい。お前ら、自分たちのことしか考えてないのかよ。


 学園祭はつまらなかった。あちらの高校の学園祭は楽しいと聞いていた。知り合いもいることだし、ちょっと遊びに行ってみた。日が沈み校庭で火がたかれて生徒たちが集まりだした。外様が参加してもしょうがないので、ロックバンドが演奏している講堂に向かった。講堂内は薄暗く、聴いている人間もまばらだった。

 後ろの方に座り、演奏に耳を傾けていた。ほどなくあるバンドがレッド・ツェッペリンの“Since I've Been Loving You”をはじめた。たぶんうまいとは言えなかったが、薄暗い講堂で耳を傾ける私の心に響いた。オリジナルを聴いた時にも感じなかった不思議な感覚だった。

 思春期の私は「もやもや」を抱えていた。言葉で表現できないから「もやもや」だ。苦しみとか悲しみとか欲望といった言葉では表現しきれない何ものかだ。大人になって、大人たちも抱えているのを知った。でも大人たちは、この「もやもや」を考えないようにできたり、酒で紛らわすこともできる。思春期の私はそうはいかない。何かつらい時間を過ごしていた。この「もやもや」をなんとかしなければならない。

 薄暗い講堂で聴いた“Since I've Been Loving You”。ジミー・ペイジもどきの泣くようなギター、ロバート・プラントもどきの叫ぶようなボーカル。それらが一体となって「もやもや」を消し去ってくれているようだった。「もやもや」を消すには、ゆっくりとしたリズムで始まり徐々に盛り上がっていくあの大音響が必要だった。きっと脳内麻薬が出まくっていたのだろう。


 レッド・ツェッペリンとのつきあいは古い。最初に買ったのがシングルレコード“Good Times Bad Times”。初来日のコンサートにも行った。確か武道館で2,500円だったと思う。当然お金がないのでパンフも買えなかった。ジョン・ボーナムのドラムが20分近く続いても何の苦にもならなかった。アルバムをレッド・ツェッペリン1、2、3と買い続けた。ブルースのよさを知ったのはレッド・ツェッペリンを通じてだし、シタールの魅力にとりつかれたのもジミー・ペイジの演奏からだった。

 現在でもツェッペリンファンが生息しているらしい。以前、ツェッペリンやフーをよく聴くという若者に出会った。彼はテンヤーズアフターやユーライヤヒープも知っていた。「えらい!!」。明らかに60-70年代ロックマニアの彼が教えてくれたサイトをのぞいてみた。世界中にファンがいて、私が知らない情報が氾濫していた。でも私にはそんな情報は無用だ。ビートルズの“Anthology”を手に入れなくてもよかったかなと感じるのと似ている。私にとってのツェッペリンは、最初の三枚のアルバムとそれ以後の数曲で十分だ。“Remasters”も手に入れたが、聴くのはやっぱり・・・という感じだった。


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