ハングルのことわざをのぞく(二十四)

「訓民正音」〜「ハングル」

 “ハングル”は、日本語で言えば“いろは”、英語で言えば“アルファベット”に当たる文字のことで「偉大な文字」という意味である。 ハングル文字は、李氏王朝4代世宗大王によって作られた。

 ハングルの創製作業は、1443年12月に始まり、3年後の1446年9月に「訓民正音」と名付けられて発表された。東西の言語学者が認めるように、ハングルは判りやすく覚えやすい世界で最も合理的な文字である。ハングルの字形は創字時の原形からはみ出したものはなく、創字の字形がそのまま残っている。これは文字の発達史上、非常に希だとされている。それほど完璧に近い字形であった。これが、僅か3年で創られたと考えていない人は少なくない。韓国語学者の中には、創字の作業は発表される7・8年前から開始されたとみている学者もいる。

 国字創製の理由は、「国の言葉は中国とは異なるので、学ぶ機会のない民百姓は言いたいことがあっても漢文で自分たちの意志を十分に表せないものが多い。それを不憫に思って、二十八文字を新製し、人々が習いやすく、日常に用いられるように便利にした」と 訓民正音の冒頭で述べられている。多くの民のために創られた文字なのだ。

  民族主義と事大主義の対立は昔からあったが、明を宗主国としている事大思想の根城である宮廷内の学者から、強い反対があった。(表向きには明の機嫌を損ねるようなことをしては不味いからと反対しているが、実は民が文字を覚えれば、必然的に政治の参与するようになる、それを学者たちは嫌って反対した)しかし世宗は英知と統率力でこれを乗り越え、発表に至った。

 「訓民正音」が「ハングル」になるまで、その文字は時代の流れによって様々な呼ばれ方をしてきた。

  訓民正音:   「民を訓く(みちびく)正しい音(ことば)」である。
  諺文・諺書:  国字を創る役所名を諺文庁と言った。(俚語、諺、俗字という意味)
          国字がなぜ俗字扱いされたかというと、漢字が正字であったからである。
  正音:     「訓民正音」の簡略化
  反切:     父字(音字)と母字(韻字)の韻が合わさって一音になる構造
          中国で用いられる漢字の音を二つ使って表す方法
  アムクル:   女文字
  アヘックル:  子供文字
  カギャクル:  ハングルの綴り字の第一列目の読み方
  国書・国文:  文字通り自国の文字
  ハングル:   グルは文字のこと。 ハン 1、国名である韓国の韓  2、韓民族の韓
          3、数字の始まりである絶対数としての1(1は一であり全体であるという古代思想から)
          4、無限大を表す   5、真っ直ぐという意味  ・・・

 世宗王亡き後、事大主義者を説き伏せて「訓民正音」を広めようという王は、現れなかった。そして訓民正音」は上記のような呼ばれ方をしながら、長い年月を送ることになる。

 この流れの中に、第十代王・燕山君(ヨクサンクン)の暴挙があった。1504年の諺文口訣の焼却事件だ。
燕山王は、失政の限りを尽くし様々な暴挙を繰り返す。これに憤った民は、怒りをハングルで書き壁などに貼ったり宮中に投げ込んだりした。民百姓の分際で文字を覚えるから王に刃向かうのだと八つ当たりして、諺文庁にあるハングル関係の本をことごとく焼き払ってしまうのだ。その後、王はクーデターにより去るが、王位を継いだ者は諺文庁を閉じてしまった。実際にそれまであまり機能していなかった諺文庁ではあったが、それが在ると無いとでは全く違う。拠り所をなくし、ハングルは表舞台から消えていった。
 だが、影を潜めたハングルは、こともあろうに宮廷や両班たちの婦女子の中に静かに浸透していった。(その頃にアムクル=女文字と呼ばれる。蔑まれた呼び方は、日本の‘ひらがな’の場合と同様だ。)そして、男性の文人や学者の中にもハングルで文学・小説を書く者が現れるようになる。それでも、朝鮮内の識字率は高くはなかった。(一割程度?)

 1883年、韓国における最初の新聞が発刊される。これが、福沢諭吉が識字率を上げるため弟子・井上角五郎に漢字とハングルを使用して創らせた「漢城旬報」である。1884年甲申政変で停刊になるが、後に「漢城週報」として復刊する。
 1896年には「独立新聞」発刊。ハングルだけの新聞で、民族的主体性を覚醒させる大きな一石を投じた。
 1920年、「朝鮮日報」刊行、つづいて民族資本による「東亜日報」が刊行される。これらの民間新聞の発行を朝鮮総督府が許可したのは、19年に起こった、三・一独立運動の余勢を防ぐための、文化的懐柔作戦からであった。(1936年、ベルリン・オリンピックのマラソンに優勝した孫基禎選手の胸の日章旗を抹消し白地にして報道した、あの新聞である。)  
 1926年11月4日(旧暦9月29日)、訓民正音が創製されて480年目の記念日に「カギャの日」が定められ、1928年「ハングルの日」と改称された。「ハングル」の命名者は、国語学者で、「独立新聞」の校正をしていた周時経(ジウシキョオン)であると言われている。   
 1939年、日章旗抹殺事件以来ますます虐げられてきたハングルだが、それを用いた新聞雑誌は無差別に廃刊させられ、学校の教科から追放される。総督府は朝鮮語学会さえ解散させた。   
 1942年、治安維持法違反の容疑で、学会員を全員検挙し、数十名を投獄した。翌年、ひどい拷問のため、二人が獄死した。国語を守るために、死者を出したのだ。   
 1945年、日本の敗戦により韓国は解放され、ハングルはやっと名実ともに国字となるのである。
 

 「訓民正音」は、人々の中に深く浸透し、国字の正位置を得るまでの気の遠くなるような時代、482年間を生きぬいてきた。民族派と民百姓たちによって、支えられ鍛えられてきたその生命力は、強靱だ。

 今日、「訓民正音」は、ユネスコの'Memory of the World'に認定されている。
    Memory of the World (世界の記憶):文化遺産として世界的価値を持つ文献・資料などを保全するためのプログラム

 

2005-08-15UP

*カーギャのあとの字も知らぬ

*肉は噛んでこそ味が出、話は話してこそ味あり

*話しかける言葉が優しければ、返る言葉も優しくなる

*口は歪んでいても、朱螺はまっすぐに吹け

*泣かぬ子に乳をやろうか

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