ハングルのことわざをのぞく(二十七)

占い 2

 風水でも韓国で盛んなのは、墓地風水である。明堂(お墓に適した立地)探しに風水師が大いに活躍することになる。風水とは、大地に潜んでいる生気の力が人の営みに影響を及ぼすと考え、その力を授かって福や富をもたらそうとする信仰なのだそうだ。高い山に発した大地のエネルギー=“生気”は山の峰に沿って脈のように流れ、その生気がみなぎる地を選んで住宅や墓を築くことで、一族の繁栄がもたらされるという。

 風水は、そもそも中国で体系化され、大地の聖子も祖宗とされる崑崙(コンロン)に源を発する。中国で霊山として知られ、西大母が住む山と考えられた。(ヒマラヤ山脈の北、チベットと新彊ウイグル自治区の境を東西に連なる、崑崙山脈にある。)
 風水の世界では、この崑崙山が世界の中心にあり、そこから世界へ大地のエネルギーが流れていると考える。地球を一個の生命体として見たときに、心臓に当たるところだ。大地のエネルギーが流れる道筋を“龍”というのだが、それは人体で言う“経絡”であり、したがって“ツボ”も存在する。それが“穴”だ。“穴”は、大地の気が凝縮し地中から沸き出しているところで、気を受け取ることのできる場所である。こういう所に家や墓を建てれば、間違いなくその人の生気は何倍にもなると考えるわけである。
 “穴”を探し出すことを、「尋龍点穴じんりゅうてんけつ」と言い、風水師の腕はこれが出来るかどうかの一点に掛かっていたということだ。

 崑崙山からの一つの脈が東に延びて白頭山(ペゥ)に達する。そこで、韓国では白頭山を主山としたいる。東西に延びる尾根を青龍・白虎として、その二つの尾根に囲まれる地こそが“穴”であり、良い土地ということになる。
 両親のお墓を明堂に築くことは、子として最大の孝である。親が亡くなると、“地官”と呼ばれる風水師をともなって明堂を探すのだが、どこの地方でも良い土地は地元の有力者の一族の所有になっていて、まだ知られていないような明堂を苦労して探すことになる。
 明堂にお墓を造りたがるのは、親孝行であると共に、そこにお墓を造ったために家族が繁栄した〜金持ちになった、王家に多くの者を送り出した〜という言い伝えが、数え切れないほどあるからであろう。そんなわけで、明堂を手に入れるためなら、人の迷惑顧みず、夜中に他人の領地内の明堂にコッソリ死者を埋葬するなどということもあり、お墓をめぐるトラブルは絶えなかった。
 大地の気を受けるには、大地に対して礼を尽くさなければならない。山の気が変化して生き物になった“山の精”も大切にしなければいけない。欲望やエゴで“穴”を独占できるものではない。とすれば、人の墓を掘り返してまでしてそれを明堂とするのは、本末転倒ではないだろうか?

 ちなみに、“パワースポット”“気場”という言葉は、風水の用語ではない。“穴”は大地からの気があふれている場所であり、パワースポットとか気場は天空から入ってくるエネルギーによって、地磁気の磁場が強いところのことである。

 

 巫堂ムーダンのことを 26で少し書いた。ムーダンは土着宗教といえる巫俗を司り占いをする者であり、伝統的な儀式や歌謡に関する知識を持っており、現在でも伝統文化として一定の地位を認められている。とはいえ、ムーダンの家系を持つものとの婚姻は、困難を極める。王朝時代は、最下層に属した職であったからだ。
 ムーダンによる クッ は、確かに現在でもよく行われるという。クッとは、供え物をして、踊りを踊ったり呪文や神託などを唱えたりして、村や家の安泰、病気の治癒などを祈る儀式である。ムーダンは世襲巫と降神巫に分けられ、降神巫が多いという。降神巫というのは、原因が分からず体の調子が悪くなり、医者に掛かっても治らない、他の宗教に 頼ってもダメ、そして“神降ろし”をするしかないと巫堂に告げられ、やむを得ず、降神巫になるらしい。原因不明の病気というのは、消化不良であったり、不眠であったりして、鬼神に取り憑かれている神病・巫病と思われている。血統を大切にする儒教の影響で、いったん巫堂になってしまったら、鬼神が関わったことへの恐れも伴って、婚姻は嫌われても仕方がないことかもしれない。

   ポサルと呼ばれる民間宗教者も存在し、これがまた激しい儀式をやることもあると聞く。ときには年のいったポサルが壺の縁にのって何度も飛び跳ねたり、供物のブタを担いで踊るという芸当?もやってみせる。火事場の馬鹿力のようなものか? それはそれは、パワフルなのだそうだ。

 最後に国旗というものを見てみよう。

 英国旗や星条旗は歴史を物語っている国旗である。十字のデザインはキリスト教、月のデザインはイスラム教を象徴している。太陽のデザインの日章旗は、皇紀1361年(701)大宝元年、文武天皇が「日」を象った旗を用いたと言われ、後醍醐天皇も用いたという史実がある。幕末に自国の船の印が必要となり、1854年、幕府は「異国線に紛れざるよう日本総船印は日の丸の丸幟」と定めた。1870年(明治3年)政府は、商船規則に於いて「日本国船に揚げる国旗は、白地に日の丸」とした。

 さて、韓国の国旗は対極旗であるが、その対極の周りの対角線上になにやら三本線のようなモノがある。それは三本の線ではなく、「卦」を表したモノだ。

「易」というものを私たちは知っている。「当たるも八卦当たらぬも八卦」のあれである。はるか江戸時代より伝わる筮竹。これが「卦」だ。「易」では、陰 (-- )と 陽(ー)の2種類記号で宇宙界に満ちる二つの「気」を表しており、三つ組み合わせて、乾=天、兌=沢、離=火、震=雷、巽=風、坎=水、艮=山、坤=地 の八つの卦を得る。筮竹は内卦と外卦を求め、64通りの卦の中から、一つの卦を選ぶ。天火同人とか乾為天とかそれぞれ名前が付いている。天と人との関係を哲学的に説明した易は、運命の様々な変化に対して、調和的に対処し、時運に載る道を教えてくれるそうだ。(月刊茶の間・園村華織の「筮竹占い」より要約あり) 

 その「卦」の乾坤をあしらってあるのが、対極旗である。

 日本同様、開国を迫られ、海洋に出るために国旗が必要になった。
04.1.26の朝鮮日報に、今の対極旗の原形ともなるものが見つかったという記事が載ったが、いろいろと物議を醸しているようである。

2005-11-13UP

*ただのものを望むのはムーダンの亭主

*いつも来てもらうムーダンの下男のように

*クッでも見て、振る舞い餅でも食べる

*クッが済んだ家のようだ

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