Andy Williams“Dear Heart”(1965)

 遠い記憶。暗闇の中に点在する光を列車から眺めている私がいる。その遠い記憶は、あのときに感じたであろう「思い」をよみがえらせる。あの光の中には、それぞれの生活が、それぞれの孤独や喜びや悲しみがあるにちがいない。ことによったら、私もあのどれかの光の中で生きているかもしれなかった。でも私はここにいる。「なぜ?」。この答えのない問いが、あの遠い記憶と現在の私を結びつけている。


 秋田の農家の次男坊だった父は、東京に丁稚奉公に出され、同じく秋田出身だが戦前は仕事で中国大陸にいた母と戦後結婚することになる。戦後のほとんどの日本人がそうだったように、貧しい生活をしていた。父は朝から夜遅くまで貴金属加工の仕事をし、母は私をおぶりながら内職をしていた。

 やがて日本が高度成長の時代に入り、私が小学校に入る頃には父は何人かの職人を雇うまでになって、生活もかなり豊かになっていった。町内会でテレビを最初に買ったのは我が家だった。近くの人たちが見に来ていた。これは昭和30年代の普通の風景だった。なんでこんなに働くのだろうと思うくらい、父は仕事をしていた。他方、本好きで音楽好きの6歳上の兄が我が家の知的環境をいつのまにか整えていた。

 そんな環境の中で育った私には、オフィスワーカーになるという選択肢は端からなかった。かとって、跡継ぎになる気もなかった。学者か芸術家になりたいと、ノー天気なことを考えていた。何もなかったら家があると無意識に考えていたのかもしれない。


 とはいえ、仕事もしていなければ結婚もしていないわけではない。それなりに意味を見いだせる仕事をしているし、結婚もした。結婚したのは、なぜなのだろう。理由はわりと簡単だ。プラトン風に言えば、自分の欠けた部分を発見したということだ。プラトン先生が役に立つこともある。

 大学を卒業したら、就職して、結婚して…という人生行路は、私の選択肢にはなかった。生きていけるだけのお金があればいいと思っていたし、特定の人間と生涯を共にしなければならないという必然性も見いだすことはできなかった。近代国家は一夫一婦制で落ち着いてきたが、そうではない国はいくらでもある。ドレミだけで音楽の世界が出来上がっているわけではないのと同じだ。一夫一婦制でなければならない理由などどこにもない。日本でも「お妾さん」が半ば公然と認められている時代もあった。実質的には一夫多妻制だ。「お妾さん」が「愛人」に名称変更になり、それにともなって日本の一夫多妻制は崩壊した。


 結婚式はあげることにした。親戚や友人にパートナーを紹介する場がやはり必要だと考えたからである。しかし、ホテルや式場で式をあげることなど考えもしなかった。自分たちの結婚式なのだから、自分たちでつくる、それが当たり前のように思えた。完全な手作りにした。

 人生の転換点なので「儀式」は必要だ。クリスチャンでもないのに神に誓うなんてできない。人前結婚式にして「婚姻の誓い」を読みあげることにした。式の前の晩に書き上げた。BGMも自分で選曲した。山下達郎もいたしヴァンゲリスもいたしパイプオルガンをひくキースもいた。

 私の父親が作ってくれた指輪で指輪交換もしたが、指輪をしたのはその時だけで、今は何もしていない。ネクタイすら嫌いな私が指輪なんかするわけがない。化粧嫌いのJunchanがまったく化粧をしないのと同じだ。

 「儀式」には米軍関係者も出席していた。場所は、政治や歴史に興味がある人なら聞けばびっくりするような「アジト」だった。東京のど真ん中にありながら、その存在は知られていないし、そもそも一般人は入れない、そんな場所だった。出席してくださった皆さんも「ビックリ」だった。しかも、「学生の分際で」結婚する私にはありがたかったことに、「タダ」だった。

 「披露宴」めいたものは六本木のフランス料理店でやった。自分たちが司会をして、出席者のほとんどにマイクを向けた。皆さんは、かわった披露宴でよかったと言ってくれた。二次会は、やはり六本木の知り合いの飲み屋を借り切ってやった。満を持して「暴露話」をしてくれる人もいたが、そのころにはお互いのことはほとんどすべて語ってしまっていたので、残念ながら「暴露話」にはならなかった。


 以前『平気で嘘をつく人たち』という本が結構売れていたらしい。読んではいないが、たしかにそういう人々はいる。高校の時に一人だけいた。みんな彼が平気で嘘をつくことを知っているので、相手にしなかった。大学の時、偶然彼を知っているという人間に出会った。その人間から聞いた彼の話は、高校時代の現実の彼とは違う「神話」だった。

 二十代の後半に結婚するのだから、まあ、「いろいろ」ある。その「いろいろ」をお互いにすでに知っていた。そんな話が普通にできるようになったので、お互いに隠し事はしない、嘘はつかない、ということが別に約束でも契約でもなく、普通のことになった。

 そもそも、大方の人々は、平気で嘘はつかない。だから、嘘を言うべきか言わないべきか、悩む。その時「嘘も方便」ということわざが助けてくれる。嘘が方便になるのは、真実を言えば「他人」が傷つく場合だ。自分のために嘘をつく人は、単なる嘘つきだ。「他人」を傷つけること、これが嘘をついていい理由になる。しかし、絶対嘘はいやだ、と考える人々もいる。そういう人々は、嘘をつくことで「自分」が傷つく。たとえそれが、「他人」のため、という理由があっても。

 私の大学の恩師はテレビを見なかった。恩師の薫陶を受けたにもかかわらず、子供の頃からのテレビ好きはなおらない。サスペンスも見る。ある出来事が妻を襲う。それを夫に隠しておこうとするために、夫婦が泥沼に陥っていく。よくある筋書きだ。こんな時、「時間の無駄」という恩師の言葉が聞こえてくる。とっくの昔に終わってしまったが「今夜は最高」とか今でもやっている「タモリ倶楽部」は別だが。


 二次会は、ピアノが置かれている店だった。だから選んだと言っていい。そのころは、Junchanがピアノをひいて私が歌うなんてことをよくやっていた。だから、二次会でもやってしまおう、というわけだ。そんな歌える曲があるわけではないので、選曲には迷わなかった。「あんでぃー・うぃりあむす」にしよう。

 子供の頃、「アンディ・ウィリアムス・ショー」をよく見ていた。だから、アンディ・ウィリアムスの声はおなじみだ。「ムーン・リバー」とか「酒とバラの日々」とか英語の意味もわからす口ずさんでいた。レコードを買って英語の意味もわかってからは、大声で歌った。そこで、まず一曲目は“Hawaiian Wedding Song”できまり、一応結婚したので。

 でも一曲ではつまらない。他の「ミュージシャン」も適当に何かやるだろう。負けてはいられない。もう一曲だ。“Honesty”を歌うわけにはいかないので、“Dear Heart”にした。“Dear Heart”は結婚にふさわしいとはいえない。なんたって、“wish you were here”だから。でも“Dear Heart”だからいいことにした。こういう歌には感情がこもる。今でも、歌えば感情がこもる。昔は単純なメロディーの名曲は多かったと思う。


 そんなこんなで二次会は盛り上がった。盛り上がりすぎて、拳で天井に穴をあけたのがいた。私の当時の飲み仲間だ。コイツは変わり者のいいやつである。ある男とケンカになって「自分は空手をやってるぞ、それでもいいか」とすごんでみせる相手に、「通信教育か」と言い返したやつである。天井に穴を開けたとき、彼は一瞬固まった。店長の顔も一瞬凍った。でも知り合いなので許してもらった。

 とはいえ、その店はほどなく閉められた。・・・もしかしてあの夜の大騒ぎが原因? あの遠い記憶にそんな「心の痛み」が加わりながら現在に至っている。


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