Johnny Winter “Jumpin'Jack Flash”(1970)

 以前にも書いたことだが、我が高校の学園祭はつまらなかった。しかし、そのつまらない学園祭の運営委員長をやることになった。つまらないものをおもしろくするのが私の役目だ。

 基本的には従来通りにした。細かいことまで変えられない。私の眼中にあったのは後夜祭だけだ。

 まず、校庭の真ん中に舞台を設置する計画を立てた。「何をやるんだ」と担当教師。「学内にいくつかバンドがあります。いつも講堂でやっているので、外でやった方が楽しいかなと思いまして」。「周りの住民からの苦情、こないだろうな」。「大丈夫ですよ。静かなのをやってもらいます」。「わかった」。というような具合に、許可をとりつけた。

 小回りのきくスタッフを当日の朝から集め、校庭の真ん中にど派手な舞台を作った。バンドにはギンギンのロックをやってくれと言っておいた。ある実力派のバンドには、“Jumpin'Jack Flash”を特にリクエストしておいた。「ローリング・ストーンズ?」と聞くので、「ジョニー・ウィンター」というと、「それは誰だ」。お前らロッカーなんだろと思いつつ、“Live Johnny Winter And”を聴かせた。「お、いいね、これでいこう」。

 今までになく盛り上がったのは言うまでもない。もちろん、住民から苦情は来たし、教師からも叱られた。まあ、当然だね。


 ロックが好きなことも前に書いた。でも、ロックって何だろう。60年代、70年代のロックが私の青春のロックだが、「ロックって何?」と聞かれても答えに窮する。レッド・ツェッペリンでもいろいろだし、ピンク・フロイドなんかを考えると、ますます答えに窮する。

 わからない時には調べるにかぎる。ある辞典には「1950年代にアメリカから世界中に流行したポピュラー音楽。黒人のリズム・アンド・ブルースをもとに白人のカントリー・ミュージックの要素を加味したもの」とある。「なるほど」ではあるが、それだけ。あまりに杓子定規だな。まあ、辞典の説明だから仕方がない。

 「ロックって何」と聞かれたら、言葉で説明してもうまくいきそうにない。生まれつき目の見えない人に色を説明するのは、きっと大変なことだ。でも、もしその人が医学の進歩で目が見るようになったとしたら、色の説明は不用になる。見ればわかる。「ロックって何」という問いに答えるには、ロックを聴かせればいい。これがロックなんだと言えばいい。私にとってこれがロックだと言えるもの、それがジョニー・ウィンターの「ジャンピング・ジャック・フラッシュ」だ。 

 ジョニー・ウィンターはもともとブルース出身らしい。このアルバム“Live Johnny Winter And”にも、たしかに、B.B.キングがやっていた“It's My Own Fault”も入っている。でも、ジョニー・ウィンター自身が「なんで分類したがるんだ。好きな音楽やってるだけだぜ」と言っているので、ブルース出身なんてどうでもいいことだ。


 ジョニー・ウィンターの「ジャンピング・ジャック・フラッシュ」も、基本的にはストーンズの枠組みが使われている。しかし、ジョニー・ウィンターとリック・デリンジャーの二本のギターの掛け合い、ランディー・ジョー・ホブスのベース、本当にロックしている。

 このアルバムの選曲を見ると、ジョニーウィンターが「俺はロックやるぜ」みたいな気概が見える。1950年代の有名どころが並んでいる。“Rock and Roll Medoley”と題して、ジェリー・リー・ルイスの“Great Balls Of Fire”(「火の玉ロック」なんて誰が訳したんだ?)、リトル・リチャードの(ビートルズの)“Long Tall Sally”、再びジェーリー・リー・ルイスの“Whole Lotta Of Shaking Goin' On”と続く。さらに、チャック・ベリーの“Johnny Be Goode”が入っている。ジョニー・ウィンターの「ロックンロールだぜー」という叫び声からはじまり、「行け、行け、ジョニー、行け、行け、ジョニー」と歌っている。


 ビートルズやカーペンターズが好きな若者には、今までしばしばあったことがある。最近はなぜか、60年代、70年代のロックが好きな若者に出会う機会が増えた。ロックというジャンルに限定して言えば、現代のロックには何の魅力も感じないのだろう。気持ちはわかる。ツェッペリンやデープ・パープルの初来日にコンサートに行ったなんていう話をすると「あこがれられる」。

 「あこがれる」という言葉を以前調べたことがある。いろいろな説があるらしいが、古語「あくがる」に由来するというのが正しいようだ。「あく」は「場所」で「かる」は「遠くへ行く」という意味らしい。心が「こっち」ではなく「あっち」に行っている状態とでも言っていいだろうか。

 ロッカーは私のあこがれだ。「こっち」ではなく「あっち」にいたい。Gさんになる前に、ギンギンのロックをやってみたい。楽器はできないので歌わせてもらいたい。曲はもちろんジョニー・ウィンターだ。格好も大事。細身のジーパン(太っていないから平気)にロンドンブーツ(売っているか?)、サイケ調のTシャツ(Junchanに作ってもらう)でどうだろう。禿げていないけど、長髪のカツラをかぶろう。ロッカーはロン毛だ。眼鏡はかけない。装身具が嫌いな私、腕時計すら嫌いな私だが、大きめの指輪だってしたっていい。これでどうだ。

 こうなると、心が「あっち」へ行ってしまった、というより、妄想だ。もういい年なのだから、落ち着いたジャズでも歌っている妄想をいたけばいいものを、なんて思わない。オヤジなっても、はじけたい欲求はなくならない。しかもかっこよく。まだ、間に合う気がするのは、自分だけだろうか?


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