Kazu Matsui “Voice From The Dark”(1981)

 音楽の好みはひと様々だ。それでいいのだと思う。「こんなの聴いてるようじゃ、まだまだだ」とか「こんなのがいいと思っているなんて、耳がおかしいんじゃないの」とか「このよさ、わからない? あーそー」とか思ってもいけないし、ましてや口に出すなんてもってのほかだ。でも、とんがっていた頃の「若気の過ち」があったことは、認めなければなるまい。

 私のパートナーは、スマップの歌が好きだ。しかし、「世界で一つだけの花」を女子十二楽房がやるのはちょっと……らしい。「五拍」つまり“Take Five”もちょっと……だから、少し理由は見える。もちろん、女子十二楽房が嫌いなわけではない。ナベサダも好きだし、ディオンヌ・ワーウィックも槇原敬之も、ExileもB'zも好きだ。さらには、「息継ぎ」が聞こえなければという条件つきだが、平井堅も嫌いなわけではない。それでいいのだと思う。好きなのを好きなように聴く、それがいいのだと思う。

 大学時代、クラッシックを極めたような友人がいた。バッハやチャイコフスキーやラフマニノフは好きだったしよく聴いていたが、「クラッシックが好きです」なんて言えるほどではまったくなかった。大学では友人たちと音楽論を戦わせる機会も多かったので、理論武装のためにその友人に頼んで「クラッシック修行」をすることにした。

 カラヤンがいかにダメかを蕩々と語るその彼は、私の要望に応えて、多量のカセット・テープを貸してくれた。しかも、高性能のテープ・デッキまで。以後しばらくクラッシック漬けになった。感想を聞かれるので一生懸命に聴いた。実におもしろい体験だった。たしかに当時は「カラヤン……なるほどね」なんて分かったような顔をして言ったりもした。

 とはいっても、実はカラヤンがそんなにダメだとは思っていないし、バッハやラフマニノフは今でも聴いているが、武満徹やストラビンスキーはあれ以来聴いていない。今では西の方で新聞記者をやっているその友人に、「あの時ちゃんと教えたやろ」と怒られそうだ。チェロは絶対パブロ・カザルスがいいし「鳥の歌」は最高だぐらしか言えない出来の悪い生徒だということで、勘弁してほしいものだ。「優」や「良」でなくてもいいから「可」ぐらいつけてほしい。やはり、好みは説明できないということで……

 聴いたときの年齢や、どんな経験をしてきたかとか、置かれている状況や、その時々の心情で、本人は理由は定かではないが好きになったり嫌いになったりする。これは恋愛と同じだ。高校の時気にもとめなかった女の子と大学に入ってから親密になったりすることもある。

 中学、高校、大学と、秋葉原の石丸電気のレコード館に出かけていっては、レコードを物色していた。買おうと思っていたレコードがたまたま館内でかかっていて買うのをやめたこともある。逆に、たまたまかかっていたために、買ってしまったレコードもある。

 そんな偶然の出会いから最初に私が手に入れたのは、古賀力の『ふるさとの山』だった。当時学校に出かけるとき、出かける用意をしながらよくFMを聴いていた。その当時朝聴いていた番組で、このタイトル曲「ふるさとの山」がかかっていた。J.Ferrat の“La Montagne”を古賀力自身が訳詩した日本語のシャンソンだった。

1976年、ポリドール

 シャンソンは、20代後半になって練習することになる。ジルベール・ベコーの「そして今は」は、歌詞があれば今でもアカペラでいける……と思う。しかし、このころはまだ全然。まして、日本語のシャンソンなんて別にほしいとも思わなかった。ところが、石丸電気で他のレコードを物色中たまたま曲全体を聴いて、思わず買ってしまった。私はどうも「郷愁もの」に弱いらしい。当時少し疲れる恋愛をしていたということも衝動買いの原因かもしれないが、後悔は全然していない。私が知らなかったシャンソンの世界を知ることができたのだから。

 ネットで検索したら、現在も活躍中のようで、赤坂でシャンソンバーも開いているらしかった。このレコードをもってサインをいただこうかとも考えているが、Jun様は「字余り的なもの」はお嫌いなので……

 もう一枚は、松居和の“Time No Longer”。これを手に入れた頃は、ジャズもフュージョンもかなり聴いていた。ジャズ・コーナーを物色中、この“Voice From The Dark”を聴いてしまった。ドッドッドッドッとドラムが鳴り出し、生きのいいギターが絡んだと思うと、元気のいい尺八が鳴り出した。「尺八フュージョン、いや、尺八ロック、いいじゃん」と思った瞬間、カウンターに行って上を指さしながら「これ下さい」と言ってしまった。なにしろ、誰の演奏かも分からなかったもので……

 「ドッドッドッドッ」のドラムはJeff Porcaro、生きのいいギターはSteve LukatherとRobben Ford、演奏をしっかりと支えているベースはAbraham Laboriel、ハープはKatie Kirpatrick Mann、キーボードはBrian Mann、後半に登場するヴォーカルはCarl Anderson、そしてバンブー・フルートはKazu Matsuiだった。

Story, Music and Art Direction by Kazu Matsui
featuring Larry Carton, Lee Ritenour, Steve Lukather and Robben Ford

 今では、様々なコラボレーションが生まれ、それに対して何の違和感もなくなっている。たとえば、雅楽器でジャズをやっても何の問題もなく受け入れられる。しかし、当時はそんな発想はあまりなかったように思うし、あったとしても私の耳には届かなかった。ものすごく新鮮でおもしろく、のりもよかったので、思わず買ってしまったわけだ。今では(当時もすでに?)有名なウェスト・コーストの生きのいいミュージシャンが多数参加しているおもしろいアルバムだった。

 レコードを買って知ったのだが、松居和はこのレコードがリリースされる前年の1980年に公開された映画『将軍』のサウンド・トラックにも参加していた。全然知らなかった。私の不確かな記憶では、ジュディー・オングが出演を断って島田陽子が出ることになった映画のはずだ。残念ながら見ていないが、音楽担当がモーリス・ジャールなのは知っている。モーリス・ジャールといえば、私が感銘を受けた映画だけでも『アラビアのロレンス』、『ドクトル・ジバゴ』、『ライアンの娘』など、音楽を担当した映画はいくらでもある。そのモーリス・ジャールと一緒に仕事をするなんてすごい。私の耳もすてたものではない。

 検索してみると、いろいろなことが分かった。やはり現在もプレーヤーとしてプロデューサーとして活躍中で、奥さんが著名なジャズ・ピアニストのようだった。子育て関係の著書もあった。ぜんぜん知らなかった。こういうところに、私の音楽趣味の「浅さ」が出てしまう。

 本拠地はアメリカだが、日本でもドラマの音楽を手がけていた。『陽だまりの樹』。これは手塚治虫が自分のルーツをモデルにした漫画で、『アドルフに告ぐ』と並んで私の好きな手塚作品の一つである。この手塚作品のドラマ化に際して、ご夫婦で音楽を担当したようだが、残念ながら見逃した。

 偶然の出会いから手に入れたこれら二枚のレコード。聴かせ好きの私は、我が家に誰かが来るとたまに聴かせたりする。我が家に来るゲストは、おおむね年齢が若いので、反応が今一である場合が多い。日本語のシャンソンはなかなか受け入れるのが難しいかもしれない。でも、松居和は「どーよ」と思うのだが、こちらも……。東儀秀樹の演奏はふつうに聴けて、松居和はちょっと……というのは、どういうことだなどと言いたくなるが……まあ、好みの問題だな。

 ちなみに、ドリカムも偶然の出会いから、我が家にやって来た。ドリカムがデビューした頃は「はやり歌」をチェックする暇もないほどの忙しさだったので、その存在すら知らなかった。相方が買い物中にたまたま耳にして、「すごくいいのに出会った、絶対ほしい」ということで、相方の音の記憶だけをたよりに必死に探した。それがドリカムだった。探し当てた時には、もう二枚目のアルバムが出ていた。最初の二枚のアルバムは、「これはちょっと」という曲がないきわめて出来のいいアルバムだった。こんな素敵な出会いもあるのだ。

 ほどなくドリカムのドキュメンタリーをテレビで見る機会があった。今は「諸般の事情で」二人になってしまったが、当時の三人が吉田美和をはさんで手をつないで武道館の中を歩く印象的なシーンがあった。吉田美和が言った、「やっとここまで来たね」。けっこう感動した。

 しかし、「でも」と続けなければならないのが、ちょっと悲しい。ミュージシャンというのは、長い間同じ曲を同じようにやり続けることができないようだ。飽きてしまうのだろうか。聴いている側は同じ曲を同じアレンジで同じ歌い方で、何度聴いても飽きないのに……。吉田美和の歌のうまさは分かっているから、昔の曲は昔のように歌ってほしいというのは、聴く側の人間のわがままなのだろうか。

 上田正樹も同じだった。日本人でブルースやソウルを歌わせたら誰かといったら、私の知る狭い範囲では、上田正樹か大木トオルか憂歌団である。上田正樹の歌で初めて聴いたのは、かの名曲「男が女を愛するとき」だった。これは絶品だった。「悲しい色やね」はこれまた大好きな曲で、カラオケでは歌ってはいけないと言われてしまうが、「津軽海峡冬景色」とともに私の数少ない持ち歌の一つである。先日紳助の番組(「法律何とか」)で「イマジン」とこの「悲しい色やね」を歌っていたのだが、昔のように歌ってと言ったら失礼だろうか。「出会い系」としては、最初の出会いを大切にしたいのだが……


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