Jose Felisiano“Light My Fire”(1968)

 胎児の状態が詳しく分かるようになって久しい。ごく普通に行われているのは超音波検査だが、そればかりではない。母体血清マーカー試験では採取されたタンパク質たとえばAFPというタンパク質を調べるとダウン症になる確率が判明する。これはあくまで確率だから、もっと確かな診断を受けたければ羊水検査がまっている。現在では、体外受精した受精卵が卵割した時点で染色体や遺伝子の診断を行う着床前診断がある。これは遺伝病に対して有効な手段と考えられている。

 このように出生前に子供の状態を検査し診断することは「出生前診断」と総称されているが、この「出生前診断」が障害者をもつ親たちや障害者団体に波紋を投げかけてきたし、現在もそうである。障害をもつと判断された時点での人工妊娠中絶が日常化すれば、障害者の存在が否定されることになるが、かといって「出生前診断」をやめろとはいえない。出産・子育ての喜びを感じ「生んでよかった」と言えるかもしれないが、障害者を抱えることの苦労もまた理解しているからである。

 私のいとこは、病気で足の長さがちがっていた。この状態を表現する言葉があるが、どうやら公には使っていけないことになっているので、使わない。私の姉のような存在である彼女は、このような障害をもったために不幸だったかというと、たぶんそんなことはなかったと思う。現在は幸せな家庭を築いているその彼女と、子供の頃しばらく一緒に暮らしていたことがあった。よく一緒に出かけたりもした。彼女も私も、彼女の足のことなど気にもしなかった。彼女のことを指さすガキがいた。自分もガキだったがぶん殴ってやろうと思って、彼女とつないでいた手を離そうとすると、彼女は微笑みながら顔を横に振った。もうそれで十分だった。

 私の友人に耳に障害がある人間がいる。補聴器は手放せない。周波数が高い音が聞こえない。だから、虫の鳴き声を聞いたことがない。「ミーン、ミーン」、これが彼にとっての蝉の鳴き声だ。しかし、彼はものすごいピアニストだ。ピアノは趣味でしかないので、知っている人しか知らない(当たり前か)。そのうち彼のピアノで遊びたいと密かに考えていることは、彼も知らない(そう、これを読んでいるアナタです)。

 ホーキングのように障害を持つ天才物理学者もいれば、乙武君のような人もいる。そんな人々を「不幸だ」と考えるだろうか、「障害にもかかわらず」と考えるだろうか。そもそもそんなことを考える必要のない社会が望ましいのではなかろうか。幸いにして「健常者」として生まれた私が重い障害を背負うようになったとき、私は「かわいそうだ」と言われたくないし、社会もそうなった私を受け入れてくれる社会であってほしい。そのような社会は、出生前診断において子供がなんらかの障害をもっていると明らかになっても、母親があえて生むという選択ができる社会、その選択を尊重するような社会であるはずだ。

 世界には障害をもつミュージシャンがいる。私がすぐ思いつくのは、盲目の天才ミュージシャンたちである。もともと才能があったのだろうが、盲目にもかかわらず、というより、盲目だからこそ、という側面があるのは否定できない。ある種の機能の喪失が、生体全体の機能の再編成を引き起こすことはよく知られている。盲目であるがゆえに、他の感覚が健常者よりもとぎすまされることになる(もちろん、障害があってよかったねなんていうことではまったくない)。これは人間だけに見られる現象ではなく、生物全般に見られるものだ。『ジュラシックパーク』で生殖能力をもたないように「生産された」はずの恐竜が生殖能力をもってしまったように、生命の力はあなどれない。

 盲目のミュージシャンとしてすぐに思い浮かぶのは、レイ・チャールスやスティービー・ワンダーだ。日本にも長谷川きよしがいる。長谷川きよしといえば、私にとっては1969年の『別れのサンバ』。そのころ永六輔とNHKの番組よく出ていた。ネットで検索したら、1000件以上もヒットした。彼の公式ホームページもファンクラブもあった。失礼ながら、全然知らなかった。

 先日、高橋竹山を扱った番組を見た。今では吉田兄弟やら何やらで、津軽三味線は有名になったが、そもそも津軽三味線をメジャーにしたのは、高橋竹山だった。私の見た番組では、すでに高齢であった彼のアメリカ公演を伝えていた。彼のたった一竿の三味線がアメリカの聴衆を感動させていた。私が高橋竹山を知ったのは長谷川きよしを知ったのと同じ時期だった。そして彼もまた盲目だった。

 ホセ・フェリシアーノも長谷川きよしと同様に盲目でギター一本で歌っていた。いい曲はたくさんある。相方にホセ・フェリシアーノの話をしたら、すぐに「雨のささやき」という答えが返ってきた。たしかに、「雨のささやき」はホセ・フェリシアーノの曲の中で一番有名かもしれない。原題は“Rain”だが、水曜深夜の「パックイン・ミュージック」で募集した邦題がついたらしい(深夜放送世代なのでいずれ深夜放送ネタも書こう)。それから、「ケサラ」というのもあった。こちらの方はたしか長谷川きよしも歌っていた。

B面は“She's a Woman”もちろん原曲はビートルズ(Juncan所蔵)

 私が好きなのは、何と言っても「ハートに火をつけて」である。「ハートに火をつけて」は、1967年に大ヒットしたドアーズの曲のカバーである。今でもドアーズのファンは多いし、私も大好きだ。ドアーズのレコードで初めて買ったのは、“Touch Me”。
Come on, come on, come on, come on now
Touch me, baby
Can't you see that I am not afraid
なんて今でも歌える。少女がアイドルの下敷きを持つのと同じように、ドアーズの下敷きを持っていた。中学生時代だし、歌詞で英語の勉強もしたから、まあいいだろう。この曲をすっかり気に入った私は、すぐに当時発売されていたベルト版を買った(シングルレコードもLPも同じ写真なのがおかしい)。このベスト版で「ハートに火をつけて」を初めて聞くことになる。ジム・モリソンが麻薬が原因で死んでずいぶんたってから、フランシス・コッポラの映画『地獄の黙示録』で、このアルバムにも収められている“The End”が使われていた。それがきっかけで、しばらく遠ざかっていたドアーズを再び聞くようになった。

 ホセ・フェリシアーノの「ハートに火をつけて」は、ドアーズのものとはアレンジが全然違っている。ギター一本で、それこそ「ソウルフル」に歌う彼を、ストリングスが優しく支えるというアレンジになっている。これは単なるカバーではない。まさにホセ・フェリシアーノの「ハートに火をつけて」なのだ。私が持っている4曲入りのEPには、ほかにママス・アンド・パパスの「夢のカリフォルニア」やかの「サニー」も入っている。いずれも、ホセ・フェリシアーノの「歌」になっている。

 近年カバーを耳にする機会が多い。プロなのに、少しアレンジを変えてみましたとか、別の歌手が歌ってみましたといった程度のカバーの多さに閉口する。いい曲だから、おもしろい曲だからカバーしてみましたなんていうのは、オリジナルに対する冒涜だ。歌い継ぐのであれば、それだけの気概を持って「自分の歌」にしてから発表してほしい。そう、ホセ・フェリシアーノのように。

 唯一悲しい(?)のは、ホセ・フェリシアーノが100円ショップで売られていること、つまりたった105円で売られていること。そのCDの中にも「ハートに火をつけて」や「夢のカリフォルニア」も入っているし「ケサラ」も入っているが、ライブ録音である。しかし、スタジオ録音ではないということ以外にも105円CDの限界を発見した。アルバムジャケットでは「ケサラ」が「ケ・セラ・セラ」になっている(ホセ・フェリシアーノは、ドリス・デイではありません)。

証拠写真

 レイ・チャールスもサンタナもボブ・マーリーも同じ運命になっていた。100円ショップはとてもありがたい。しかし、そこに置かれているのは町工場のおじちゃんやおばちゃんが朝から晩まで働いて何十何円という単価で作っているものだし、ホセ・フェリシアーノやレイ・チャールスも一曲10円もしない。ちょっと、複雑な気持ちになる。


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