Blood, Sweat And Tears “Spinning Wheel”(1969)

 子供の頃、「ナベサダとジャズ」というラジオ番組があった。ナベサダはもちろん渡辺貞夫である。日本を代表するジャズマンであることを知ったのはずっと後になってからだった。今でもよく聴く。“My Dear Life”は渡辺貞夫のテーマだ。

 当たり前の話だが、結婚してレコードが倍増した。中古レコードを買い集める趣味はないので、ほとんどが20年以上前のものである。ブルーノ・ワルターや高橋真理子は重ならないが、ウェス・モンゴメリーやアストラッド・ジルベルトなど重なっているものがある。汚れているのが私のものなので、すぐ見分けがつく。でもハービー・マンのように補い合ったものもある。私は「メンフィス・アンダーグラウンド」を持っていたが、Junchanは「ロンドン・アンダーグラウンド」をもっていた。渡辺貞夫も重なることなく補い合っていた。

 「渡辺貞夫で何が一番いい?」と聞かれたら、私は躊躇なく“How's Everything-Sadao Watanabe Live At Budoukan”(1980)と答える。ナベサダの声も入っている。Junchanは、先日の夢の中でナベサダが運転する車で暴走したらしい。ヤーサンも登場したらしい。う〜ん、よくわかならん。

 今でこそジャズは大好きだが、子供の頃ジャズはほんとうにわからなかった。何じゃこれは、という感じだった。兄が聴いていたので、一緒になって耳を傾けてはいるものの音が耳に入っていかない。聴くことを拒絶されている、そんな印象だった。ジャズを聴くなんて、子供の私には無理な話だった。


 小学生のときはグループサウンズが大好きな少年だった。タイガース、テンプターズ、モップス、スパイダーズ、ワイルドワンズ・・・数えあげればきりがない。加山雄三の「若大将」シリーズとならんでグループサウンズものの映画もよく見ていた。しかも、ブルーコメッツのファンクラブに入っていた。この話をすると結構受ける(笑われる)。考えてみると、「モーニング娘。」のファンとかわらないかわもしれない。ちょっと、汗が出てくる。

 中学生になった。ビートルズはあまり聴かなかった。世代的に少し遅れてしまったのだ。いわゆる「ホワイトアルバム」や「アビーロード」の時代で、ビートルズは晩年を迎えすでに洗練されてた。血気盛んな中学生にはものたらなかった。そのころ聴いていたものの中に、Blood Sweat and Tears がいた。別に「苦労人」バンドではない(アル・クーパーをめぐる内紛やら音作りには苦労してたかもしれないけど)。管楽器を取り入れたロックバンドである。あのころは「ブラスロック」なんて呼ばれていた。

 このBSTが私にとってジャズの入り口になった。そもそもBSTはジャズとロックの融合をコンセプトにしていた。ロックなんだけどジャズっぽい演奏が、私にジャズを聴く耳を作ってくれた。そのころはボサノバも聴いていたので、それも重要な契機だったにちがいない。ボサノバもサンバとジャズの融合体だからだ。

 BSTを聞き込んでから、アドリブを自然に追いかけられるようになった。“Blues Part II”と並んで、とくに“Spinnig' Wheel”の間奏の演奏が私にとってのジャズの入門になった。以前、カラオケで発見したので歌ってみたが、間奏が長くて途中でやめた。あ、そうそう、エリック・サティーを初めて聴いたのも、BSTのこの二枚目のアルバムだった。


 Chicago もデビューしたばかりのころは、「ブラスロック」に分類されていた。「クエスチョンズ67/68」や「長い夜」(松山千春ではない)は、BSTより少し洗練されていて少しかっこいいバンドの曲という感じだった。しかし、Jazz-tasteはかなり薄かった。

 しばらくして「ブラス」がトランペットだけのChaseというバンドが登場した。 ヴォーカル入りの“Get It On”が少しヒットした。この“Get It On”がおさめられているデビューアルバムの一曲目は“Open Up Wide”である。四本のトランペットが繰り広げる演奏は、本当にかっこいい。

 子供の頃から、いろいろな楽器に手を出しては挫折した。バンジョーもギターにもフルートもサックスもピアノにも手を出したことがある。音楽的才能がないことをいやというほど思い知らされた。トランペットにも手を出したことがある。トランペットは兄が持っていたという理由でやってみただけだ。他の楽器には多少なりとも動機付けがあったが、トランペットにはなかった。親に「うるさい」と言われた時点でやめてしまった。

 その後ジャズを聴くようになって、あのころ練習していればなーと「ほんの一瞬」思うことがあるが、練習しても「無理無理」。ディジー・ガレスビーやマイルス・ディヴィスやウィントン・マルサリスのトランペットは、ひたすら「拝聴する」だけだ。Chaseのトランペットは、あのとき練習していればなーと「1分くらい」思える。とにかくかっこいいので、やりたくなってしまう。


 BSTは、しばらくして少なくとも私の前から姿を消した。Chicagoは徐々にその姿を変えながら長生きした。あの大ヒットした“Hard To Say I'm Sorry”。この曲に直接接続されいる“Get Away”はブラスロックしているが、この「素直になれなくて」自体にはブラスロックの面影はない。だからこそ生き残れたということだろう。

 Chaseは、すぐその姿を消した。ツアー中の飛行機事故だったと記憶している。結構期待していたバンドだったので、とても残念だった。長生きすればいいというものではないが、だからっといって短すぎるのも気の毒だ。

 BSTは、“Spinning Wheel”が入っている二枚目のアルバムで、私にとっては終わっている。ところが我が家には“Bread, Seat and Tears 3”がある。Junchan、君も聴いていたのね。


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