Willie Nelson “Always On My Mind”(1982)

 学生運動は、過激になればなるほど下火になった。大学に入学したころは、学園封鎖や試験妨害などが時折起こったとはいえ、かなり平和な学生生活が可能になった。

 1、2年生のときは、第二外国語でクラス分けがなされた。まさにそのためか、はたまた偶然か、私が属していたドイツ語クラスでは、同じ世代の同級生と旅行に出かけたり飲み会をやったりと、学生生活をそれなりにエンジョイすることができた。ところが専攻に入るとずいぶん様子が変わった。

 後に兄弟の盃をかわす(ヤ○ザじゃあるまいし)HIさんをはじめ、年上の「学生運動クズレ」が結構いた。集まれば政治談義がはじまり、ずいぶんいじめられた。いじめられるのはいやではなかった。悔しいので勉強して理論武装に励んだ。実践の裏付けのない理論はおおむね敗れ去る。敗北もいい経験だ。


 HIさんは、高校卒業後、関西のある都市の役所に勤めていた。某政治団体の副委員長をしていたが、委員長が実は「日の丸を背負った人」であることがわかり、ばかばかしくなってこの大学に入ってきた。年齢は5歳上だった。

 生活費と学費を稼ぐために新宿のパブで弾き語りのアルバイトをしていた。バイトで稼いだお金を握りしめ、そのパブへよく行った。HIさんが紹介してくれる人々と議論したり飲んだり歌ったりすることが楽しくて仕方がなかった。一方で「マルクス主義は・・・」なんぞとやりながら、ビートルズやらビリー・ジョエルやらを歌っていた。このHIさん、実は私のパートナーに出会わせてくれ、完全な手作り結婚式の立会人までつとめてくれた人物である。新宿は、議論と恋と歌の町だった。


 大学からは政治の風が消え、HIさんもいつのまにか「カタギ」になって関西にもどっていった。高校の教師をやりながら音楽活動もしていた。そんなこんなで気がつくと、「喪中につき・・・」という葉書をいただくことが多くなった。みな年をとったということだ。HIさんが自分の両親のように慕ってくれた私の両親は健在だが、みんながみな80、90と生きられるわけではない。

 そんな「喪中につき」の葉書の中に、「3月○○が52歳で永眠いたしました」というのがあった。愕然として言葉を失ったが、不思議にも涙は出なかった。交通事故だったと後から聞いた。このOさんと出会ったのも新宿だった。

 Oさんは、私のパートナーの苦労時代を支えてくれた人物だ。私がJunchanと知り合い、結婚することになったことを一番喜んでくれた人だった。もう20年近く前のことだ。彼はミュージシャンでもあったし、飲食店の有能なマネージャーでもあった。結婚してからも、毎週のように新宿でOさんの歌う歌に耳を傾け、酒を飲んだり話したりしていた。

 義兄弟のHIさんが、寿司屋で知り合った(=ナンパした)女性と結婚して、東京でのお披露目会を開いた時も、Oさんの店を使わせて頂いた。その後、いろいろな事情で会う機会が減ったが、新宿で飲む時は、Oさんがいるところへ自然と足が向いた。


 今から10年くらい前になるだろうか、お父さんの体の具合の関係で、Oさんは郷里に戻ることになった。当たり前のように、彼が新宿を去るのを惜しむ人々が集まり、お別れ会が開かれた。そのとき何を話したか覚えていない。私たちが会場を後にするのを送ってくれた彼と、抱き合って号泣したことは鮮明に覚えている。大人になって号泣したのは二回目だった。一度は、結婚して間もなく義父が亡くなったとき。二回目は、新宿の路上だった。

 Oさんが好んで歌っていたのは、カントリーだった。私はそれまでカントリーをほとんど聴かなかった。唯一聴いていたのが、グレン・キャンベルである。中学生のとき本当によく聴いていた(むしろよく歌っていた)。彼の「ウチチタ・ラインマン」は大好きな曲だ。「恋のフェニックス」はアンディ・ウィリアムスとは別の味のあるものだった。

 Oさんが好きだったのは、ウィリー・ネルソンだった。彼の影響で遅ればせながら聴くようになった。ウィリー・ネルソンによると、カントリーというのは、「カントリーの楽器で演奏される、シンプルなメロディー、シンプルなアレンジのもの」を指すらしい。音楽ジャンルの定義にしてはあまりにも広いが、ウィリー・ネルソンには正しい定義なのだ。

 したがって、というか、当然というか、ウィリー・ネルソンには、これもカントリーになるのかよと思う歌が多い。“As Time Goes By”もあるし「明日に架ける橋」もあるし、あのプロコルハルムの「青い影」もある。それらがすべてウィリー・ネルソンの手によって「カントリー」になっている。“Always On My Mind”はエルビスのものが有名だが、ウィリー・ネルソンはみごと「カントリー」にしてしまっている。

 Oさんの声はウィリー・ネルソンの声に似ていた。彼の“Harbor Lights”はとても素敵だった。しかし、今日は“Always On My Mind”だ。歌詞の内容をちょっと無視して“You were always on my mind”というフレーズだけに耳を傾けることにしよう、彼が好きだったハーパーを飲みながら。


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