Oscar Peterson“Medley : Hymn To Freedom - The Fallen Warrior”(1982)
かなり前のことなのだが、英語の教科書で「マーティン・ルーサー・キング」が登場する部分を勉強していた中学生の女の子に、「なんで、アメリカ合衆国に黒人がいるの」と聞いたことがあった。その女の子は少し考えてから「暑いから」と答えた。ずっこけた。
去年、今年と「韓流」などと言われている。ブームにのって騒いでいる人々は、どうやら年齢が若干高めのようなので、アメリカに黒人がいる理由もさることながら、日韓・日朝関係の歴史も、常識程度ご存じであろう。
私が通っていた高校の近くに「朝鮮部落」という侮蔑的な呼称で呼ばれている場所があった。同年代の「在日」の高校生は「チョン」と言われ、少し恐れられていた。アメリカ人が日本人を「イエロー・モンキー」や「ジャップ」と呼ぶのと同じように、黒人を「ニグロ」と呼ぶのと同じように、侮蔑的な呼称である。
彼らの中には、日本に強制連行された朝鮮半島出身者を第一世代とする若者もいただろう。ちょうど、アフリカから奴隷として連れてこられた黒人を祖先にもつアメリカ人がいるように。そして、「在日」と呼ばれる彼らも、黒人を同じように差別されてきた。私たち日本人は、国内に「部落問題」という差別問題をかかえながら、同時に朝鮮半島出身者に対する差別を行ってきた。
今年「韓流」にのって(?)、仲間由紀恵主演のテレビ・ドラマ「東京湾景」というのをやっていた。毎週見ていた。在日韓国人が主人公のテレビ・ドラマはとてもめずらしい。韓国のテレビ・ドラマには不可欠の「不慮の事故」や「出生の秘密」といった要素がきちんと押さえられていたので(「ハングルのことわざをのぞく」(十一)参照)、かえって閉口することもあったが、こういったドラマが作られたこと自体を評価していいと思う。
「在日」というのは、普通1945年の日本の敗戦以前から日本に居住していた朝鮮半島出身者とその子孫を指し、近年韓国から日本に来たいわゆる「ニューカマー」を含めない。日本の植民地だった朝鮮半島の出身者は、「サンフランシスコ講和条約」を機に日本国籍を喪失し朝鮮籍とされたが、永住許可をもつ人の中で韓国籍を取得した人と朝鮮籍のままの人に分かれている。
一時期、外国人登録証の携帯義務や指紋押捺が問題になった。30代半ば、中国語の話せない中国大陸国籍の若者と知り合った。彼から初めて外国人登録証なるものを見せてもらった。日本で生まれ育ち、日本で教育を受け、これからも日本に住み続けるのにこんなものを持たされて、と思った。同時に、恥ずかしさも感じた。さすがに、指紋押捺は現在は廃止されている。
しかし、今この問題はあまり重要でなくなっている。私たち自身が、外出するたびにどこかで「防犯カメラ」という名の監視カメラに撮影され、番号をつけて管理される時代になった。「犯罪防止」の名のもとで、「息苦しさ」を口にできなくなっている点で、「在日」の人々含む日本に定住する外国人と、私たちはどこか共通している。
日本に定住する外国人にとって現在最も重要な問題は、参政権のような市民権が与えられていないということである。これからも日本に居住しつづける人々にとって参政権がないということは、自分たちが属している地域社会に対して、何の発言もできないということを意味している。つまり、社会の周縁にとどまることを強制されていることになるのだ。
2000年、公明、保守(当時)両党によって「永住外国人地方選挙付与法案」が提出された。民主党も同内容の法案を提出し野党各党も賛成の方向だった。しかし、2001年自民党内に根強い反対意見があることなどを理由に継続審議になり、現在に至っている。
法案が提出されたとき、当時の金大中韓国大統領も法案成立を求めていたが、当の韓国が互いの国の永住外国人に参政権を与え合う「相互主義」をとらなかったことも、継続審議になった理由だと言われている。
反対を唱えている人たちの議論は、意外に簡単である。
日本は日本国民のための国家なのだから、参政権その他の市民権を得たければ日本国籍を取得せよ、というのである。そんなわけで、この法案を通すのには反対だが、国籍を取りやすくしましょ、という話になる。「なるほど」とつい納得してしまうほど簡単明瞭だし、今でもテレビで同様の発言をしている人がいる。しかし、現代はこのような簡単明瞭な論理が通用する時代なのだろうか。
“Globalization”という日本語に訳しにくい言葉がよく使われるようになった。この言葉の意味の中には、「物」だけではなく「人」の交流も世界規模になったということも含まれている。日本人が生涯日本に住み続けるとか、アメリカ人が生涯アメリカに住み続けるというのは、考えにくい時代になったということである。実は私たちも老後は海外でと密かに考えている。
さらに国際結婚によって生まれた子供には多重国籍者もいる。その数は増加することはあっても減少することはない。
日本人なのに日本に住んでいない人々、何国人とはいえない多重国籍者は、いったいどこで市民権を得ればいいのだろう。結局、住んでいる場所で市民権を得るしかない。“Globalization”の時代にふさわしいのは、居住地で市民権を取得することである。
おもしろい思考実験を考えた人がいる。
私たちは、これから新たに作られる社会のルールを考える委員会のメンバーである。委員会のメンバーはどんなルールを作ってもかまわない。ルールが作られれば、そのルールで動く社会ができあがる。
ルールを考えた私たちはどうなるのか? 一度死んで、新しくできた社会の中で再び生まれる。しかし、男で生まれるか女で生まれるか、どのような境遇で生まれるかは選べない。
もし本当にこのような委員会のメンバーだとしたら、私たちはどんなルールを考えるだろう。生まれたときに背負うことになる境遇を選べないのだから、自分だけ得をするルールは作れない。だとすれば、「男」に生まれても「女」に生まれても、「黒人」に生まれても「在日」で生まれても、きちんと「公正に」扱われるルールを考えるはずだ。
この思考実験は、現実の不公正を浮かび上がらせ、今後社会がどうのようになるべきなのかを考えさせてくれる点で、とても優れている。私が「在日」として生まれたら「黒人」として生まれたらと想像しさえすればいい。そう想像するだけで、見えないものが見えてくる。
Oscar Peterson(piano)
Joe Pass(guitar) |
Niels Pedersen(bass)
Martin Drew(drums) |
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“Freedom Song/The Oscar Peterson Big 4 In Japan '82”
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Side1 1.Round Midnight 2.Medley 3.Easy Living 4.Moving |
Side 2 1.Medley 2.Sweet Lorraine 3.You Look Good To Me |
Side 3 1.Now's The Time 2.Future Child 3.Mississauga Rattler 4.Nigerian Marketplace |
Side 4 1.Medley 2.Nightchild 3.Cakewalk |
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“FREEDOM SONG : The Oscar Peterson Big 4 In Japan '82”というアルバムは、オスカーが日本ツアーのすべてのテープを持ち帰り、自分で選曲したらしい。彼の愛する日本人への素敵なプレゼントだ。
一枚目の冒頭に“Round Midnight”をおいたのは、彼がまさに来日しているときに、セロニアス・モンクの訃報が届いたことが大きく作用しているようだ。モンクのピアノは、オスカーのピアノとはまったく違うし、あの不協和音を好きな人もいれば嫌いな人もいる。マイルス・デイヴィスはどうやら嫌いなようだが……
Side2の“Medley”の前半、“ Hymn To Freedom ”は、マーチン・ルーサー・キングが暗殺されてから、オスカー・ピーターソンが頑なに演奏を拒んだ曲である。“I have a dream”と自らの「夢」を語る者を無惨に踏みつぶした現実に失望したのだろうか。「自由をうたいたたえること」にむなしさを感じたのだろうか。この曲は、彼が日本好きだからこそ演奏してくれたようなものである。
後半の“The Fallen Warrior”は、「いソノ てルオ」のライナー・ノーツによると「南アフリカのフリーダム・ファイター、ネルソン某に捧げられた」新曲だそうだ。「ネルソン某」とは、「アパルトヘイト」つまり人種隔離政策への反対運動を指導し、後に大統領になるネルソン・マンデラだろう。1982年の時点では、ネルソン・マンデラは国家反逆罪で終身刑の判決を受け、すでに20年服役している。彼の闘争が実を結ぶとは考えられなかったことが、この曲のタイトルからうかがえる。
しかし、このような曲を書いたのだから、オスカーは希望を捨ててはいなかったということなのだろう。だが、彼の希望がかなうまでには、さらに12年の歳月が必要だった。
前半はオスカーのソロであり、哀愁がただよっているが、同時に希望も感じさせる静かな演奏である。後半になると、ドラムとベースとギターが彼の演奏を支えるように入ってくる。哀感があると同時に力強いすばらしい演奏が繰り広げられる。
オスカー・ピーターソンを知ったのは中学生の時だった。最初に買ったのが“Emotions & Emotions”というアルバムだった。このアルバムの中で特に好きだった演奏が、アントニオ・カルロス・ジョビンの名曲“Wave”である。中学生の頃はまだ時間がゆっくり流れていたので、夏休みはとてつもなく長いと感じられた。そんな夏休みの「お昼寝の時間」の定番になった。
ボサノバのリズムで静かにはじまり、徐々にストリングスが絡んでくる。6分間の演奏の後半になるとリズムが速くなって、オスカー・ピーターソンのスピード感あふれるアドリブが展開される。この演奏を聴きながらの「お昼寝」では、たいていこの曲の途中か、「イエスタディ」の途中で意識を失い、気がつくとレコード針があがっていた。そんな至福の「お昼寝の時間」だった。
“Emotions & Emotions”(1870) | ||||||
Side A 1.Sally's Tomato 2.Sunny 3.By The Time I get to Phenix 4.Wandering 5.This guy's In Love With You |
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Side B 1.Wave 2.Yesterday 3.Dreamsville 4.Eleanor Rigby 5.Old to Billy Joe |
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私には、普通の叔父-甥関係ではあまり見られないくら年の近い叔父がいる。母が6人兄弟の長女だからそういうことも起こる。叔父は、母のことを姉であると同時に母のように思っていたし、私にとっても叔父は兄のような存在だった。
オスカー・ピーターソンを聴き始めたころ、ちょうどその叔父が東京に来ていた。叔父は、オスカー・ピーターソンの生の演奏を聴いたという話をしてくれた。40年近く前の秋田の小さな町。ほんとに「ど田舎」である。演奏会場は、その町の学校で、ろくに調律もしていないようなピアノがオスカー・ピーターソンを待ち受けていたそうだ。
町民はみなこんなピアノで大丈夫かとひどく心配したらしいが、こんなピアノでこんな音が出るのかという見事な演奏だったらしい。もし、スタンウェイじゃなきゃやらないと彼が言ったなら、彼の演奏の印象も変わっていただろう。楽器にこだわらないのは、技量に自信がある証拠だろう。
オスカー・ピーターソンは、もう“Hymn to Freedom”を日本以外の国で演奏しているだろうか。時代は確かに変わった。黒人がアメリカ大統領になる時代がまもなくやってくるとも言われているし、「韓流」もやはり変化の証だろう。しかし、偏見や差別や不公正はなくなったと言えるだろうか。
差別されている者のことは、差別されている者にしかわからない。それはたしかだろう。「お前に何が分かるのか」と問われたら、口ごもるしかない。「気持ちはわかります」なんて、口が裂けても言えない。
とはいえ、音楽には音楽しかない力がある。オスカー・ピーターソンの黒人としての苦しみや悲しみがそれ自体としてはわからなくても、私たちは彼の演奏に感動することで何かを感得する。それでいいのだと思う。“Freedom Song”というアルバムは、彼が愛してくれた日本人への素敵なプレゼントであると同時にメッセージなのだ。彼は、私たち日本人が彼のメッセージを受け取ることができると信じているのである。
MUSIC OF HEART MENU
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